8月23日
WeBlogをトップページにもっていく準備として、フレーム化したものを、以下のURLで公開しました。
http://www1.linkclub.or.jp/~mrtone/tonetalk.html
それに伴い、これから更新は上記のページの方に行い、このページには今後手を加えません。
新しいHPの名称は「tonetalk」。
よろしくお願いします。

さて、こんなことに明け暮れている間に、世界はテロの連続。イラクの国連本部まで爆破されて、21世紀が「戦争の世紀」になっていきそうな暗い気持ちでいっぱいの毎日である。
「暴力」では何も解決しない。そのことを僕たちは、日常の一コマ一コマで実証していかないと、「目には目を」の論理に負けちゃうんじゃないか。
そんなことを考えている毎日である。

8月13日
8月中にはWeBlogをトップページにもっていきたいと、Movable Typeを再インストールした。

それに伴い、ページの名前とURLを変えたので、下のリンクからアクセスしてください。
tonetalk
「音のおしゃべり」てな感じで、いい名前じゃないかと自画自賛している(^^)

詳しい奮闘記は上記ページに書いてあるので、是非訪問してくださいね。
少しずつ成長していくページの様子がわかるでしょう。
これがWeBlogの醍醐味です。

7月20日
ようやく仕事もゆとりのある時期に入ったので、このHPを全面的に改修していきたいと思う。

まず手始めに、今流行りの「WebLog」を使って、「綴る」のページを作り直していく予定。
これはなかなかおもしろい手法で、要はCGIを使っているんだけど、記事を書き込んだらHTMLファイルを自動的に更新してくれて、しかもその記事に対して、訪問者が自由にコメントを書くことができる!
その上、画像もアップできるし、いわば「日記」「掲示板」「リンク集」etcが自動でできていく感じ。
この興奮はやってみなくちゃわかりません(^^)

というわけで、当面はtonelogと言う名前でBlogを公開していくので、ちょくちょく見てください。そしてコメントください。
自分なりに使いこなせてきたら、トップページにもってくる予定。
当面の内容は「WebLog導入奮闘記」です。

乞うご期待!

3月19日
1年近く更新をしていなかったHPであるが、今日、書き込まずにはいられないことが、ついに起こってしまった。

アメリカによるイラク武力攻撃である。

このことだけは本当に許せない。国連憲章も国際法も無視して、自分にとって都合の悪い国を平気で攻撃するアメリカ。それにしっぽを振ってついて行く小泉・日本政府。
今この瞬間にも、何の罪もない多くの市民、子ども達が爆撃されていると思うと、いてもたってもいられない。

それで、「変える」ページ改め「抗う」のページに思いを書き込みました。
是非読んでください。

5月6日
昨日は家族とともに、久しぶりに海と山に出かけた。

ゴールデンウィークだけあって、道もなかなか込んではいたが、何とか目的地に着き、ケーブルカーで山頂へ。
海を見下ろし、水平線を実感した。浅いところは淡いブルーで、深くなるほど濃い藍色になる。そんなコントラストを楽しんで。
子どもを連れて山の中をトレッキング。森の匂いを胸にいっぱい吸い込んで、汗をかいて歩いた。長男はついてきたけど、次男はすぐ音を上げてだっこするはめに。
でも、久しぶりに森林浴を楽しんだひとときだった。

その後は、そのまま海へ直行。
まだまだ水は冷たかったけど、足だけでも海に浸かって、ひとしきり遊ぶ。砂の城を作ったりして。
童心に返ったひととき…。5月の日ざしは思ったよりきつく、肌が焼けて少しひりひりした。
子ども達は思い思いに石や貝殻を集めて遊んでいた。

思いっきりマイナスイオンを吸い込んだ一日。
これぞリラックスと言う感じ。時間もゆったりと流れていた。

5月4日
GoLiveを使い始めてから、サイトの更新がうまくいかず、四苦八苦している。

今日までに2回ほどこのページも書き換えたのだが、更新したときに何かおかしくなって、消えてしまった。なんでそうなってしまったのか、未だもって分からない。
今日は「遊ぶ」のページを書き換えたのだが、更新がうまくいくだろうか。せっかく大枚を叩いたのだから、早く使いこなせるようになりたい。
でも、負け惜しみじゃないけど、もっと直感的に操作できるようでないと、Macのソフトとは言えないな。その点、PanicのTrasmitはよくできていたな。ほんとにFinderの延長線上でFTPを扱うことができた。
こういう小さいソフトの方が、痒いところに手が届くんだよね。

それはともあれ、GoLiveで気に入ったのは、ファイルのディレクトリを移動すると、リンクの更新を自動的にしてくれるところ。思わず歓声を上げてしまった(^^)
まあ、市販されているHTMLエディタでは当たり前なのかも知れないけど、やっぱり便利は金で買うものなんだねえ(しみじみ)。

4月15日

HTMLエディタをAdobe GoLive 6.0に変更した。

この「綴る」のページもGoLiveで更新しているが、なかなかうまく操作できなくて、四苦八苦である。
今までタグを直接打ち込むやり方に慣れていたので、レイアウトを直接見ながら作っていく流儀には、かえって回りくどさを感じる。
でも、ソースを見ながら確認できるので、今自分が何をしているのか、ある程度は把握できる。

やっぱ、タグをある程度理解してから、こういうソフトに移行すべきだね。何ごとも「基礎・基本」は大切だ。

GoLiveのいいところは、i-modeなど携帯用のサイトも簡単に作れるところ。
これを機に、i-mode用のサイトも作ってみようかな(って、そんな要望なんてどこにもないくせに)。

4月11日

公私共にドタバタとしている日が続き、日頃はなかなか新聞に目を通す時間もない毎日だが、ふと紙面に目をやりびっくり!
「有事法案」を今国会中に成立させるって?
何を考えているんだ、小泉は。「有事」といったって、今日本を攻めてくる国は想定できないって、政府自身が認めているじゃないか。要は、アメリカを支援するための法案であるのは、火を見るより明らか。
首相に権限を集中し、地方に負担を押し付け、民間の人を戦争協力に動員する…。
戦争協力を拒否すれば罰則もあるって!

…信じられない。日本が直接侵略されたのならいざ知らず、何でアメリカのためにそこまでするのか。日本はいっぱしの独立国だぞ!
怒りを感じながら、自分の息子達の顔を見ると、この子達を戦場に送るような国にしてはいけない、「教え子を再び戦場に送らない」という普遍的なスローガンを思い出した。

息子を育てて思うけど、子ども達って基本的に平和主義者。
それを銃を持って人を殺して平気な人間にしてしまうのは、やっぱ大人の育て方の問題。
僕ら大人は、人間の叡智にかけて、平和主義を貫くべきだと思う。

近々、「変える」のページを書き換えることになると思うので、また覗いて下さい。

4月9日

ようやく自宅のコンピューターの環境を、Mac OS Xに完全に移行することができた。
スキャナをClassic環境から使えることが確認できたし、プリンタも推奨されてはいないが使うことができた。これでもう十分。
Finderの速度が遅くてイライラするときもあるが、安定しているのが何よりもすばらしい。まだまだ洗練されていないところもあるが、もう旧Mac OSに戻る気にはなれないな。

あと、ようやく短歌集を公開した。
エキスパンドブックで製作しているので、ボイジャーのHPからブックブラウザをダウンロードしてもらわなくてはいけないが、縦書きで表示されるのでぜひそうしてほしい。
HTMLで公開してほしいという声も聞くので、用意するつもり。もう少し待って下さい。

インターネットをサーフィンしてみると、結構エキスパンドブックで作った本が公開されている。最近ではボイジャーもT-Timeに主力を移行しているようだが、結構簡単に縦書きの本を製作できる(しかも安価で)このソフトは、なかなか良くできていると思うのだが。

4月1日

長く更新していなかった。4月になり、新しい生活が始まる中で、また自分なりの思いを綴って行きたいと思う。

長く温めてきた短歌集がようやく完成した。まあ、正確に言うと、完成したというよりかは、投げ出したという方がいいかもしれないけど。
ヴァレリーだっけ、「詩は決して完成しない、ただ、投げ出すだけだ」と言っていたのは。実感としてよく分かる。
でも、自分の想いはよく反映していると思うので、興味ある人は一度読んでみて下さい。「紡ぐ」のページで近日中に公開します。

あと、僕のPC環境がかなり変化しました。一番大きい変化は、PowerMacintpshにMac OS Xをインストールしたこと。この更新もMac OS Xから行っています。
この辺りの格闘記もそのうち公開する予定。「遊ぶ」のページに注目して下さい。

なにはともあれ、地味ながらプロフィールを少しだけ書き換えました。三つのOSを使い分けるのも、なかなか大変(^^)

3月14日(木)

今日は僕の勤めている中学校の卒業式だった(これで仕事がばれてしまった…)。
3年生を担任していた僕としては、万感の思いで迎えたこの日だった。

このハレの日のために、僕は紋付き、袴を着ていった。朝、教室に行くといつもは遅刻ばかりしている子たちも、みんなそろっている。僕の姿を見るなり「かっこいいー」とか何とか言いながら、ひとしきり騒いで席へ。いつもはなかなか集中しない子ども達も、じっと僕の顔を見つめている。

この子達はこの子達なりに、今日の卒業の日を大切にしようとしている…。
僕は担任としての最後の話を始めた。話しているうちに、この1年間のさまざまのことが思い出されてきて、涙がこぼれてきてしまった。子ども達の多くも泣き出している。
今年はたくさんの仕事を抱えて、何度も後悔したことがあったけど、やってきて良かった、本当にそう思った。

「本当に1年間ありがとう。君たちの担任ができて、本当に幸せでした。式で一人一人の名前を呼ぶから、大きな声で返事して、大きな声で歌を歌って、いい卒業式にしような」…
そういう僕の呼びかけに応えて、子ども達は式場で大きな声で返事をしてくれた。ひいき目じゃないけど、どのクラスよりも大きな声だった。
答辞を聞き、卒業の歌を大きな声で歌う子ども達を見ていると、涙がこぼれて止まらなかった。教師になって、卒業式でこんなに泣いたのは、初めてだ。

退場の時、子ども達が「先生のクラスになれて良かった。みんな先生のことが大好きでした。今までありがとう」、そう言ってくれて、一斉にクラッカーが鳴った。最後までやることは派手だったけど、本当にいいクラスだった。体育館から出たとたん、みんな涙でくしゃくしゃの顔で、肩を抱き合い、手をつなぎあった。

花道を拍手で送られ、名残惜しく多くの子ども達が運動場で写真を取り合い、語り合い…。そうこうしているうちに時間も経って、校舎に人影も少なくなってきた頃…
「先生! 中庭に来て!」─促されるままに出ていくと…
中庭にかかる渡り廊下に「先生、今までありがとう」の横断幕が。その上に、クラスの子ども達の笑顔。
「先生ありがとう!」「先生のこと好きやで!」─最後の最後まで、本当に愛すべき子ども達だった。

この仕事について、本当に良かった。そう思える限りは、どんなにつらいことがあっても、子ども達を信じて、乗り越えていけるだろう。

3月10日(日)

昨日、本当に久しぶりに日本橋まで買い物に行った。

店の前ではXBoxの発売記念か、多くの男達が順番を待って並んでいた。面白いのかなあ?
僕は自慢じゃないが、PCでのゲームといったものにとんと興味がない。自分のマックにも一つもゲームソフトが入っていない。やっても頭が痛くなるだけだし。
これって珍しいのかな…。

そういえば、途中で入ったうどん屋で店員の女の子が「うちだけ携帯持ってないねん。」といった会話をしているのを小耳に挟んだ。確かに今時珍しい子。
意外に思って顔を見てみたら、結構かわいい子だった(^^)
こういう子って魅力的だよね。簡単に時流に染まらないところがいい。
でも、連絡を取るときにはどうするんだろ。家に電話するのかな、何か緊張するだろうなあとしょうもないことを考えてしまった…。

ところで、ついに自分のHPにも掲示板を作ってしまった。それもどこから借りてきたものではなく、自力で。
今のところ何の変哲もないけど、これからちょっとずつ手を入れて、洒落たものにしたい。(何かこんなことばかり書いている気がする…)

3月3日(日)

今日は風は冷たかったが、雲一つない本当によく晴れた一日だった。
久しぶりに家族で車に乗って、遊園地に遊びに行った。

僕は遊園地に関しては恨みがあって、子どもの時にいつも一つしかアトラクションに乗らせてくれなかったせいか、この歳になっても、乗りたいだけ乗りたくなってしまう。
これもトラウマってやつかな(^^)
まあ、子ども達は久しぶりの遊園地に大満足し、僕も久しぶりにゆっくりと家族の時間を持つことができた。リフレッシュできて良かった。

僕はかねてから、人間って帰る場所を持つべきだと思っているが、僕にとっては「家族」がそういう場所かもしれない。
そこにいれば、自分が一番自分らしく、正直にいれる場所。そういう場所があれば、きっと人って大きな過ちもなく生きていけるんじゃないだろうか。

車のラジオから、元ちとせの「わだつみの木」が流れていたが、この歌も初めて聴いたときから気になっていた。歌詞が「自分の帰る場所」とも関わりあるし…。
今度ゆっくり聴いてみよう。

ところで、もう気の早い桜が咲き始めていた。梅もまだゆっくり楽しんでないのに。
もう、春も目の前だ。

2月28日(木)

手を入れ続けていた短歌集だが、だいぶ歌もたまってきて、全体像が見えだしてきた。

構成としては、秋に恋に落ち、そして次の秋から二人の間に距離が生まれ始め、春の訪れを前に終わる、という感じにまとまりそうだ。
ちょっとシステマティックにまとめた感もあるけど。だって、秋って恋の始まりにふさわしいし、春ってやっぱ出会いと別れの季節でしょう。

あと、章立ても季節を中心に組み立てるつもり。それも英語で「autumn」とか「winter」とかいう感じで。
歌の間から意図するとおりにストーリーが浮かび上がってくれたら、成功なんだけどな。ちょっと洒落た感じの短歌集になってくれれば、それで満足。

最後はこれを誰に贈るか何だけど…。受け取ってくれたらうれしいけど。

2月25日(月)

「SOY2」にすっかりはまってしまった。1曲1曲が耳障りがよく、アレンジも洒落ていて、疲れた心にはぴったりだ。

「おしえて」は可憐なラブソング。誰もがこんな気持ちになったことがあるだろうし、こんなことを言ってほしいじゃないかな。

「あなたのこと いちばん好きだから
 その扉をあけて
 あなたのままで あなたのことをおしえて きかせて」

相手のことをもっと知りたいって、恋すれば誰もが感じる心。でも、なかなか近づけない。そのもどかしさの中に、恋の味わいってあるんだろうけど。
やっぱ、シンプルにこう言ってくれる方がいいよね。これが言えないばっかりに、なくした恋もたくさんあったな(^^)。
簡単そうで、難しい一言…。
まあ、これ以外の曲もどれもいいので、是非聴いてみてほしい。

あと、KOKIAの「人間ってそんなものね」も心にしみる。

「助け合って 肩貸し合って 少し進んでは立ち止まって
 息を吸って 深呼吸して
 たまにはため息ついたりしながら
 泣いて 笑って 悩んで 起きて
 感じる全てが自分になっていく
 人間ってそんなものね 許し逢えるってすばらしい」

肩の力がすっと抜けるいい歌詞だ。そうだよね、人って自分だけの力で生きてる訳じゃないよね。そんな当たり前のことに気づかせてくれる、これは聴くに値する曲。

「許し逢えるってすばらしい」…その通りだよね。あるがままに、自分の弱さを全て受け入れたときに、人は優しくなれるし、強くもなれる。決して、傲慢ではなく…。
もっと売れてほしい歌い手だ。

2月23日(土)

今日はホントに春のような陽気な一日だった。

あまりにも滅入った気分を励ますために、久しぶりに近くの山を歩いた。
疲れ切った体に森の匂いがしみこんでいく。木々の間を風が渡り、葉がこすれる音がする。鳥たちのさえずる声…。汗ばんできた背中…。
ああ、生きているんだと実感した。しばらく忘れていた感覚だ。

枯れ葉をがさがさと踏みながら、思いっきり息を吸う。
眼下に街が遠くまで見渡せるところまで上ってくる。春みたいな陽気に空気もかすんで、あいにく海は見えなかった。川は蛇行して、きっと海に流れ込んでいる…。
「そうだ、今度自転車に乗って、川沿いに下り、海を見に行こう…」

久しぶりに心洗われた一日だった。また来よう。

それから、たまたま入ったCDショップで「教えて」という曲を見つけた
僕がグループ名を勘違いしていて、「SOY」という名前で、それは3人のユニットだった。
佐橋佳幸・小倉博和・平松八千代のそれぞれ頭文字をくっつけたものだ。山弦はアレンジを担当している。
「SOY2」というアルバムを買ったが、なかなかいい佳作が詰まっている。一日の終わりに聴くのにぴったり。今のもの悲しく、何か寂しい僕の気分にもぴったりかな(^^ゞ

KOKIAの「人間はそんなものね」も見つけたが、アルバムの中の1曲だった。
それだけのために買う気にはなれず、購入は見送った。シングルはないかな?

何はともあれ、今日は得した気分の1日だった。

2月21日(木)

ずっと気になっている歌があって、探しているんだけど、全然見つからない。
もし知っている人がいれば教えてほしい。

それは、やまげん、平松やちよ、ソイ(トイ?)とかいうメンバーで出している「教えて」というシングル。
ラジオでたまたま聞いたんだけど、歌詞がとても気に入ってしまった。それ以来いろいろ探しているんだけど、どこにもなくて。そもそも発売されているのかどうか。
やまげんって、ギタリストみたい。それ以上、何もわからない。

もう1曲は、コキアの「人間なんて(?)」。
タイトルは何か後ろ向きな感じがするけど、メロディと歌詞のかみ合いが良くて、一回聞いて気に入った。
これも手に入りそうで入らない。

何か情報があれば、お願いします。

2月20日(水)

少しずつ手を入れている短歌集だが、だいぶ全体像ができあがってきた。

当初のテーマであったプラトニック性は、ちょっと変わりつつはあるが、ストーリー性を持たせたいというねらいは、まあまあうまくいっているかなって感じ。
今回短歌を作ってみて思ったことは、短歌って「即興性」と「瞬間性」が命だなっていうこと。ほんの一瞬の想いをいかにうまく切り取るか。
でも、それだけでは連続性がないので、つなげて小説のように読ませたい、そういう僕の意図はあながち間違いじゃないみたい。

でも、同じ短歌が順番を変えるだけで、全然違うように見えてきたりして。そういう実感も何度も持った。
そう考えると、編集って面白くもあるけど、恐ろしいもんだね。

それはともあれ、この短歌集は自分で読んでいても、ぐっとくる。
自画自賛かもしれないけど、自分の心の琴線に一番触れてくるんだよね、自分の作品って。

2月18日(月)

昨日、ThinkPad X20にWindows XPをインストールした。

ややこしいことは覚悟していたが、思った以上に手こずってしまった。
BIOSの更新などは良かったのだが、新しくパーティションを区切って、そこにインストールしようと思ったのだが、その方法がわからない。
まあ、何とかなるだろうと思って始めたのだが、結局よくわからないうちにインストールが始まってしまって、意図していたとは違うところにインストールされてしまった。
後でわかったのだが、詳細というオプションの中に、インストールするパーティションを選ぶ項目があったのだ。こんなのはデフォルトで設定しておいてほしい。

やり直そうとしてぶつかった問題は、いわゆるハードディスクの頭から8GBを超える領域には、システムをインストールできないという問題。
これはPC互換機固有の問題で、Macではこんなことは考える必要がない。
ああ、なんてややこしいんだ。

で、結局もう一度パーティションを切り直して、無事インストール完了。しばらくはWindows 2000 Proとの併用で使うことになる。このあおりで、Vine Linux 2.1.5にはしばらく消えてもらうことになってしまった。PC互換機を自作した折りに、復活してもらおう。

それで使ってみた感じだが、デザインは外注しただけあってなかなかいい感じ。
インターフェースがくどい感じはするが、何ができるかすぐわかる点では、もしかしたらMac OS Xよりいいかもしれない。
このあたりは、またおいおいレポートしたいと思う。

2月16日(土)

今日は久しぶりによく晴れた一日だった。

こんなに澄み切った空を見ていると、どこかに行きたくなる。独身の頃はよく神戸や須磨の海まで車で飛ばしたっけ。
独りでカフェのテラスで海を見つめていた、ああいう時間は久しくないなあ。この頃は子ども達の喧噪の中で生活しているので、たまに家の中がしーんとしたりすると、かえって寂しくなったりする。

独りに憧れたりするけど、でも今独りになったら寂しくてたまらないだろうな。もう家族なしでは生きていけない…。

今日は本当に暖かくて春みたいな陽気だった。
僕が1年を通して好きな季節は、3月から4月の新しい出発を感じさせる春と、夏が過ぎての夕焼けが綺麗になり始めた秋の始まり。
春には独特の匂いがあって、何かすべてのことを一からやり直そうという気分になれて、好き。桜を楽しんだり、新しいことに挑戦したりして、夢があふれていていい。
秋は夕日が沈んでいくのを、ただ見つめているのがいい。透き通った空気を感じていると、心まで澄んできて。
これもまた、自分を見つめ直し、新たに始めるのにふさわしい。やっぱ人は自然の中で生きるべきだよね。

「ヒトは森の中で誕生した」と著名な人類学者はいったけど、それは真実だと思う。
「悟り」って自分は自然は一部だと体と心で納得できたことをいうんじゃないかな。

2月15日(金)

昨日はバレンタインデイだった。

この日だけは世間もちょっと浮き足だった感じになって、それはそれでまあ恒例行事としてみんな楽しんだらいいじゃないという感じ。
僕は何個かもらって、例年と同じ収穫(^^)。まあ、うれしかったのは手作りのチョコで、表に「いつもありがと」と書いてくれていたもの。
こんなちょっとした言葉で、人って幸せを感じることができる。やっぱ、言葉って大切だよね。
僕は「ことばの力」を信じたい。

多くの女の子達は、お互いにケーキなどを作り合ってきて、一緒に食べていた。
この方がよっぽど健康的かもしれない。男など気にせずに、女同士で楽しむ方が。
僕もおこぼれに預かったけど、おいしかったなあ。男に贈ったチョコより、思いがこもってるんじゃないかなあ。

家に帰ると、妻からチョコをもらった。
実はこれが一番うれしかったりして。いくつになっても、恋人みたいな関係でいられたらいいな。ちょっとのろけ?

2月11日(月)

iBookが届いた。
AppleStoreで注文してから届くまで6日間。思ったより速かった。昔に1ヶ月近く待たされたという話を聞いたが、最近はサービスも向上してきたのであろうか。それはともあれ、この速さなら不満はない。

段ボールを開封して改めて思ったが、昔に比べてMacの箱もおしゃれになったもんだ。妻も「かわい〜」と感心していた。
iBookは貝のような発泡スチロールに包まれていた。こんな見えないところまで結構こだわって作っているとは、なかなかいい感じである。

本体を取り出すと、妻も「へ〜、思ったよりおしゃれじゃん」と満足そう。
「これならWinを使っている連中に自慢できるぞ」と僕。
早速ACアダプタをつないで充電を始めると、ソケットの周りがオレンジ色に光る。充電が完了すると緑色に変わる。こういう細かいところに凝るところは、さすがAppleだ。

起動ボタンを押すとMacの起動音がして、Mac OS Xが立ち上がった。まず、ユーザー登録から始まる。「うちはケーブルインターネットなのにうまくいくかな?」と不安混じりに進めていくが、何かうまくいけたのかどうだか、未だ持ってわからない。
箱の中を見ても、ユーザー登録のはがきは入っていない。やっぱり初心者のためにも従来のやり方も残しておいた方がいいと思う。

Mac OS Xの使い心地は、これから少しずつアップするとは思うが、まあ思ったより悪くない感じ。
ただ、ディレクトリを好きにいじれないのはどうかな。あと、Mac OS 9のファイルも見えているので、初心者は混乱しそう。お互いに違うOSのファイルは見えない仕様にした方が、わかりやすくていいと思う。

とりあえず初日にしたことは、ネットサーフィンをし、iToolに登録し、iDiskをマウントし、iTuneでお気に入りのMP3ファイルを聴いた。
こういうことで使う分には、OSの違いなんてどうでもいいことなんだけどね。

2月4日(月)

妻のためにAppleのiBookを買った。
これで所有するコンピュータはもう5台目。職場でその話をすると、さすがにあきれられてしまったが…。

妻の職場ではみんなWinらしいが、やっぱ使うならMacが断然いい。僕はWindows 2000も使っているが、操作方法やファイル構成が直感的にわかるということでは、Macに一日の長がある。ユーザーインターフェイスもよく考えられている。
というわけで、半ば強引にMacを使わせることにした。AppleStoreで注文したので、1週間ほどで届くようだ。今から楽しみ(おっと妻のものだった…)。
ただし、初期起動はMac OS Xになっている。このOSはもひとついただけない。UNIXがベースになっているのはいいが、その知識がないと、完璧には使いこなせない。これではMacの思想である「rest of us」にはずれている。
このあたりが、Macの行く末に不安を感じるところなんだけど。

それはともあれ、ストレスがたまってくると人間は自分の欲求の一つを満たそうとするそうであるが、僕の場合はそれは「コンピューターのソフトを買いまくる」ということになっている。
今机の横には、買ったままインストールしていないソフトが山積みになっている。Windows XPのパッケージも未開封のままだ。今インストールして仕事に支障が出ては困るので、落ち着いてからになるとは思うが…。

それにしても、早くOSの違いなど気にしなくいいほど、コンピューターに成熟してほしい。そうなってこそ、初めて「道具」と言えるものになるよね。

2月2日(土)

最近仕事が忙しさを極めていて、下手すると心のバランスが崩れそうになる。こういうときには無性にいい歌が聴きたくなる。

というわけで、ミーシャの「果てしなく続くストーリー」を聴いた。
やっぱ歌唱力があると説得力があるよね。聴いていると何か心が満たされてくる感じがして、それだけで幸せな気分になれる。こう言っちゃ何だけど、歌詞自体は抽象的でわかりにくいんだけど、クラシックのようなアレンジが歌声と相まって涙が出そうになる。

僕の好きな詩人の谷川俊太郎の詩の一節に「音楽が僕を救う/音楽が僕を駄目にする」というのがあるんだけど、ほんと、そんな感じ。

後もう1曲は、村田亮の「For you」。新しい歌ではないけど、初めて聴いたときから気になっていた。

これは歌詞が心に迫ってくる佳作。男にとって、夢を追うことと、大切な人を愛することって、なかなか両立しにくいんだよね。それに苦しみながらも、でもその人のためにも夢を追うというところがいい。
「僕は僕を愛していない 君はそれを怒っていた 好きだからと泣いてくれた あの日の君 忘れない」─これってありきたりの男女関係なのかもしれないけど、こういう支えがあって男ってがんばれる…。

それはともあれ、最近は歌詞を聴かせる曲が増えてきて、いいと思う。
「歌」の復権だ。

1月29日(火)

プロフィールのページを作った。

よく自己紹介ってやつがあるけど、生年月日や血液型、趣味などを羅列しても、その人の何がわかるんだろう。
自分でやりながら、むなしさを感じてしまった。

とりあえずありきたりのことを書いてしまったけど、「僕」という人間は僕の書いている「作品」「文章」から判断してもらうのが一番なわけで。
サルトルが「作家とはその人の作品以外のものではない」というようなことを書いていたように思うけど、全くその通りだと思う。

こんなことからも改めて「自分って何だろう」と考えてしまった…。
「自分」って一番つきあいが長いくせに、一番扱いにくい。

1月25日(金)

一日の終わりに、メールチェックやネットサーフィンをしながら、ゆっくりとうまい酒を飲み、お気に入りの音楽を聴くことが、僕の楽しみになっている。

それで、最近気に入っているのが藤岡まさあきの「交差点」。
去年の12月にとあるFMでヘビーローテーションになっていたので、耳にしたことのある人は多いと思う。
「そして求めるだけだった僕に、君は何もいわないまま、泣いてた」というフレーズが好き。これって男の恋の性なのかな。相手を傷つけるだけということがわかっていながら、それでもそうせざるを得ない。恋って、切なく、そして哀しいもんだよね。

どんな恋も終わりはつらいけど、それもきっとそのうち一つの思い出になる。きっとその人との出会いを感謝できるようになる。
何か、酔いながら聴くと、胸にぐっと来てしまって、結構感傷的になってしまった。

まあ、ある意味、女は求められるままでありきたりの男女関係の歌とも言えるけど、今はそんなところは問題にしないでおこう(^^)

1月24日(木)

最近まとまった文章を読む暇なんかなかったが、ちょっと空いた時間を利用して「コンピューター文化の使い方」(思想の科学社)を読んだ。
1994年刊行の少し古い本であったが、今まで人が積み上げてきた文化の上に、さらにコンピューターをどう利用するかというテーマで、「IT万歳!」という論調じゃなくて、批判的に向き合っているのが良かった。

マックの話題も出てくるのだが、よくあるWIN中心の偏った扱いではなく、正当に取り扱っているのも好感が持てた。

何よりも、編者(室謙二氏・津野海太郎氏)の思想が感じられるのが良かった。
この歳になると(^^)、だんだん「筆者」も選んで読むようになる…。

煮詰まっている短歌集の方だが、ストーリー性を持たせたいので、出会いの部分を作ろうと思うのだが、なかなかいい句が浮かばない。
何でもなかったものが突然輝いて見える、そういう恋の始まりを何とか表現したいんだけど…。

1月22日(火)

製作途中の短歌集を公開してみた。

自分の書いたものをWeb上でみてみると、何か他人が書いたみたいで、これはこれで自分の作品を客観的に評価する一つのやり方かなって思ったりする。
未完成のものを公開するなんて初めてだけど、ちょっとずつ手を入れて早く満足するものにしたいな。

書きながらふと思ったんだけど、中学生の時保健の授業でいろんな欲望を運動をして「昇華」させるって話を聞いたことがあった。
僕が書いている詩や短歌、曲もある意味「昇華」なのかもしれない…。

1月21日(月)

久しぶりにホームページを更新しようと思ったのも、最近の自分に一種の精神的危機を感じたからである。

毎日毎日、向こうからやってくる仕事や私事を、ぼろぼろ取りこぼしながら何とかこなしていくのに精一杯で、前に進んでいるというよりかは、同じところに停滞しているか、かえって後退していく感じがしてきて、精神的にしんどくなってきていた。

そういえば、最近夕日を見つめたこともなかったな。一人になる時間もなかった。

自分自身を振り返ることや、心のいろんな変化をゆっくり見つめることもできずに、ただただ焦燥感と根拠のない孤独感に襲われている。

そういえば、最近は仕事だって苦痛なルーティンに陥りかけていた。新しい発見のない仕事、しばらく忘れていた理想…。

プライベートでもどれだけ愛する人と言葉を交わしていたっけ。とりあえず目の前にあるものをやり過ごすのにあくせくして、潤いのある会話だってなかった気がする…。
このままでは自分がだめになる。

そんなときに、ホームページのことを思い出した。書くことで考え、創ることで自分を表現していた、そういう自分の原点に戻ろうと思った。自分の変化をあるがままに見つめ、自分の気持ちに素直に生きていこうと思った。

久しぶりに一人の時間を持って、ちょっと自分を取り戻せた気がした。

これからはちょくちょく自分の心をつづっていきたいと思う。そして、未完成でも、途中であって、どんどん作品も発表していって、自分を見つめたいと思う。

沈むゆく夕日をいつまでも見つめていた、そんな心のゆとりを取り戻すためにも。