もともと、このホームページの目的は、僕の作品の紹介に絞り、それ以外の要素などは載せないつもりでした。

しかし、このところの「国会」の余りもの不作法さに対し、このまま黙っているわけにはいかないと、緊急に意見表明のページを開設しました。

自由民主党と自由党が国民無視の連立を組み、そこに公明党が加わり、悪法通り放題の国会です。特に許せないのは、「国旗・国歌法案」「盗聴法案」です。ここまで僕たち国民の「内心の自由」「プライバシー」といった「基本的人権」が侵害されて、黙っているわけにはいきません。

僕たち一人一人の声は小さいかもしれないけど、インターネットの利点を生かせば、大きな異議申し立てのうねりをつくることができるかもしれません。一人の会社員のホームページが、大企業の東芝を謝罪させたことは、記録に新しいことです(ただ、あの件は嫌がらせメールの多さから、ご本人がページを閉鎖されてしまいましたが)。

趣旨に賛同される方は、是非以下を読んでいただき、意思表明のメールを関係諸団体に送りましょう。


イラク武力攻撃 反対!

2003年3月19日。恐れていたことがついに起きてしまった。
ブッシュ・アメリカ政府が、イラクに武力攻撃を始めたのである。21世紀が「平和の世紀」になるか「戦争の世紀」になるか、この問題にかかっているとまで言われていたが、このままでは後者への道を突っ走ってしまう。

国連の安全保障委員会では最後まで平和的解決の道が探られていたわけだが(それは今も投げ出されてはいないが)、ブッシュは自らの国益を「正義のため」とすり替え、イラクの罪のない人々の上に爆弾を落とし始めた。
フランスなどが「拒否権行使も辞さない」と最後まで反対を貫いたのも、ヨーロッパを始めとして各国で反対でも繰り広げた1000万人を超える人々の「平和を願う力」が背景にあったことは否定できない。この日本でも各地で「戦争反対!」のアピールが行われた。各種世論調査でも、半数以上の人々が「イラク攻撃」に反対していた。
世界中の多くの人が「戦争」ではなく、「平和」を望んでいるのである。

なのに、自国の提案した決議案が暗礁に乗り上げ、もう中間派の抱き込みも無理だと見ると、多くの人々の思いも踏みにじり、攻撃を開始したブッシュ・アメリカ。
許せない思いでいっぱいである。

しかも、それに無批判でついて行く小泉・日本政府。
我が国はアメリカの属国ではないはず。平和憲法を持つ国の代表者として、恥ずかしい態度。
なぜヨーロッパの国々のように、毅然とした態度がとれないのか。自国の多くの国民の「戦争反対」の思いを、なぜ踏みにじるのか。

このまま戦争が泥沼化していき、世界各地で無差別テロが頻発することなんて、誰も望んではいない。
始まってしまったからといってあきらめることなく、あくまでも平和への道を閉ざすことなく、これからでもできることをしていきたいと思う。

なぜなら、戦争は人間の本性ではないのだから。
誰もが平和に生きる権利を持っているのだから。

抗議先
アメリカ合衆国大使館
http://usembassy.state.gov/tokyo/wwwhjmain.html
United States Mission to the United Nations
http://www.un.int/usa/


国旗・国歌法案について

僕は以下の理由から、「国旗・国歌法案」に反対します。

「日の丸」は戦前、侵略戦争の旗印に使われたという歴史をもっている。 そのため、今でもアジア各国の人々の間では、「日の丸」に対して強い警戒心が残っている。それに配慮せず闇雲に法案を通しても、真の友好関係は作れないのではないか。
ちなみに、ドイツとイタリアは第2次世界大戦後、国旗を取り替えて再出発をした。

「日の丸」「君が代」とも、国民の間には十分に定着したとは言えない。 各種の世論調査の結果を見ても、さまざま意見に分かれており、特に審議が進むほど法制化に反対の声が増えてきている。
国会で野中官房長官が「確かに十分定着したとは言えない。だからこそ法制化が必要」と答弁したというが、これこそ逆立ちした論理ではないか。

「君が代」は天皇を讃えた歌であり、「国民主権」を原則としている「日本国憲法」をもっている日本の国歌として、ふさわしい歌詞ではない。
小渕総理は国会で「『君』は象徴天皇のこと。『が』は所有の助詞。『代』は時間を表すが、転じて国を表すこともある」と答弁した。これを素直に受け取ると「天皇の国」になる。
こんな苦し紛れな解釈をしなくてはならない歌が、国歌にふさわしいと言えるだろうか。

「日の丸」「君が代」の押しつけは、憲法に保証された「思想・信教の自由」「内心の自由」を侵害するものである。
日本にはさまざまな国・民族の人が住んでいる。信じる宗教、思想、信条もさまざまである。仰ぎたくない人、歌いたくない人に強制することは、憲法違反である。

特に学校現場では深刻だ。当然、学校にもいろいろな国籍の子ども、いろんな宗教を信じている子どもがいる。彼らが仰ぐこと、歌うことを拒否した場合、どう指導するのであろうか。
文部省も「強制することは、子どもの内心の自由に立ち入ることになる」と答弁で認めている。
だが、一転教師に対しては「公務員である以上、法に従うことは当然で、『内心の自由』の侵害にあたらない」と言い、「歌うように指導するのは当然で、職務命令に従わない場合は、懲戒処分もあり得る」と言っている。こんな矛盾に満ちた答弁があるだろうか。

学校現場はどうなるだろう。歌わない子どもに対して、教師が「指導」する。それは場合によっては叱責にもなるだろうし、場合によっては恫喝にもなるかもしれない。こんなことで、子どもの思い出に残る「入学式」「卒業式」になるのだろうか。
また、誠実な教師ほど苦悩は深くなる。校長の職務命令に従えば、子どもの心を踏みにじることになる。拒否すれば自分が処分されるかもしれない。今年の2月に広島の校長が自殺したが、これに似たような悲惨な出来僕が、今度は全国で起きるかもしれない。
こんな学校に、親は安心して子どもを預けることができるだろうか。

ちなみに、アメリカでは50年以上前に、「子どもに国旗への敬礼を強制することは、信教の自由を保障した合衆国憲法に違反する」といった判決が出されている。こういった考え方は、今や世界に常識である。
先進国の一員となった日本が、いつまでもこんな前近代的なことをしていていいのだろうか。

以上の趣旨に賛同される方は、是非以下の関係諸団体に、意思表示のメールを出しましょう。
その際、上の文章の全文、一部を引用されてもかまいません。
多くの人の力で、大きなうねりをつくっていきましょう。


盗聴法案について

僕はこの法案にももちろん反対である。

多くの人は最初、「まあ、自分は犯罪に関係ないし、聞かれて困ることも話してないし」といった受け止め方だったかもしれない。だが、国会で審議が進む中で多くの問題点が明らかになり、今では50%以上の人が反対するまでになってきている。 なのに、自民党、自由党、公明党はまたしても数の暴力で、この悪法を押し通そうとしている。

誰だって自分の知らないうちに、自分の会話が盗み聞きされて気持ちのいいわけがない。日本国憲法は「通信の秘密」を保障している。これは世界的に見ても価値のある条項だ。盗聴法案は憲法に保障された基本的人権を侵害している。

政府は「盗聴の対象を、殺人、薬物、銃器、集団密航に絞ったから、一般市民は大丈夫」と言っているが、これには抜け穴がある。「別件盗聴」を使えば裁判所の令状はいらない上、対象犯罪が150件以上に増える。これでは我々の生活のかなりの部分が盗聴される危険性がある。

それでも、そんな犯罪に手を染めなければ、と思うかもしれない。しかし、参考人質疑で明らかになったが、今の技術では、例えば携帯電話にしても、一つの回線を複数で共有しているため、被疑者の会話だけを盗聴するのは不可能なのである。また、ファクスは一部だけを見ることはできないので、結局全文を読むことになる。
インターネットに関してはニフティの社長が答えていたが、犯人のメールだけを抽出するのは不可能で、結局そのサーバーにある全てのメールが読まれることになる。盗聴法案では関係諸団体に協力を要請することができるが、それに応えてサーバーを提出すれば、顧客との信頼関係が損なわれてしまうとニフティの社長は危惧していた。
さらに驚いたのは、「国際衛星携帯(イリジウム)」は技術的に盗聴が不可能だそうである。1台60万円ほどだそうが、上記の4種類の犯罪を計画し、警察に盗聴されないようとする輩たちにとっては、安いものだろう。 これでは結局重大な犯罪ほど盗聴することは無理になってしまうだろう。

ちなみに、アメリカでは盗聴が合法的に認められているそうだが、それでも実際に盗聴した内容の80%は犯罪に無関係だそうだ。

このように考えると、盗聴法案は重大犯罪を取り締まるためのものではないとうすうす感じ始める。
そう、これは我々一般市民を監視するためのものなのである。
インターネットの世界といえども、例外ではない。この世界の自由さに心惹かれ、愛しているものこそ、意思表示をし、自分達を守っていく必要があろう。みんなの力で大きなうねりを作り出そう。


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