いい父親になりたい…

昨夜、ずっと観たいと思っていた映画を借りてきた。
幕末の激動期に、ただ家族のために、そして一武士として愚直に生きた男の人生…
心にずしっと残る、いい作品だった。
もう少し考えがまとまったら、改めて感想を書きたいと思う。
ところで、僕は今落ち込んでいる。
自分の父親としてのだめさ加減に…
仕事柄、人には「子どもを受け入れてあげないと」、とか、「十分に甘えたら自立するんですよ」なんて、物知り顔で説いたりしているくせに、自分の子どもになったら、まるでだめ。
自分のいやなところに似ているからだろうか、どうしてもあたりがきつくなってしまう。
長男は僕に似て神経質なところがあって、ちょっとしたことでもパニくってしまうのだが、そんなとき仕事ならぐっと抱きしめるということもできるのだろうが、自分の子どもだと「何でそれくらいのことができないんだ!」と怒鳴ってしまう。
泣きじゃくる長男を妻がなだめて、ようやく眠りにつく。
その様子を見て、僕はただ自己嫌悪…
消えてしまいたい…
「子育てはいつからでもやり直せますよ」、僕がよく言う言葉は、実は僕が最も肝に銘じなくてはいけないんだ。
たそがれになれば、家族の元に返り、正しいかどうかは別として、清く生きた男…
あんな風に、僕も父親としてまっすぐに生きたい。
こんな僕でも、将来子どもたちから許してもらえるのだろうか
たいした父親でない、こんな僕でも

4 個のコメント

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    • KOYASU on 2006年3月6日 at 6:58 AM
    • 返信

    こうして書き込める人は大丈夫なんじゃないですか。

  1. 子安さん、わざわざありがとうございます。
    今朝顔を合わすと、長男の顔が一瞬硬くなりました。
    「体調は大丈夫か?」と言って抱き寄せると、「うん。大丈夫、元気だよ」とぎゅっと抱き返してきました。
    そして、「行ってくるね!」と言って、元気に学校に行きました。
    …こうして、一つずつ父親としての階段を上っていくんだなと思います。
    父親になって、まだ8年…
    これからも修行は続きますね。
    それでは。

  2. 修行などと考えず、期待を語り、笑って、泣いてと、出会う共通の体験についての感想を言い合ったりしていけば良いのではないでしょうか。
    修行はつらいのできらいな子安でした。

  3. 大して深い意味のなく使ってました>「修行」(^^)
    確かに、子育てはそういうものではなくて、もっと肩の力を抜いてするものですよね。
    僕は宮本常一の「忘れられた日本人」が好きなのですが、その本に出てくる昔の父や母は、たいした覚悟もなく子どもを育てていますよね。
    社会が子どもを育てていたから、親として気を張る必要もなかったのでしょう。
    知らず知らず、自己責任論に毒されているのかもしれません(^^ゞ
    気をつけなくては…

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