秋祭り

今年も秋祭りがやってきた。
ここに越してきてから、毎年欠かさず参加している。
特に今年は妻が子ども会の役員をやっていることもあり、準備から始まって大変だった。
ここの自治会ができてから20年以上続いている祭りである。
特に戦後すぐから住んでおられる長老にとっては、大切な行事。子ども会が中心になって準備するのだが、いろいろ注文がついて大変なそうな。
しかも、高齢化が進み、長老の皆さんも次へ伝えていくことを主眼に、いろいろ後進に教えておこうと必死なのが伝わってくる。
御輿を担いで自治会内を練り歩くのだが、たくさんのお年寄りの方がご祝儀を持って玄関先で待っておられる。
楽しみにしておられる方がいるうちは、やめられないし、手が抜けない。
しかも、今回はどこにこんなに小さい子がいたの?というぐらい、たくさんの参加が…。
長老達が遠くに住んでいる孫達を呼び寄せて、祭りを盛り上げたとのこと。
これは、僕ら若手(といっても40代だが)がしっかり引き継いでいかないと。
それはともあれ、長男が祭りの装束を着けている様子。
Kappa2006
僕はずっと天狗だと思っていたが、河童なそうな。
手に持っている竹の棒には、意味があるのだ。


僕の住んでいる町には「天狗祭り」というちょっと変わった祭りが伝わっている。
西光寺(聖天宮)で毎年10月15・16日に行われるのだが、天狗の装束を身につけた若い衆が、竹の棒で参拝者の頭を叩いて回るのだ。
叩かれた人は、その一年無病息災でおくれるという。
しかし、その異形の怖さや雰囲気のおどろおどろしさに、小さい子は泣き出すし、夜泣きをする子が出るくらい。
うちも今年初めて息子二人を連れて行ったのだが、泣き叫んでだめだった…
その天狗が持っている竹の棒と同じなのだ。
長男は、その怖かった天狗になれて、ご満悦だった。次男は、おそるおそるお面を触っていたが…
長女は見るなり泣きわめいていた(^^)
でも、後で聞くと天狗ではなく「河童」とのこと。確かに、鼻が高くないな。
なんで、河童なんだろう…
まあ、最初の話題に戻るが、町内を練り歩いた後、氏神の神社まで奉納に出かける。
そこでの宮入の仕方にまで、長老から細かい注文がつく。
要望に応えるのは大変だが、ある意味それだけまだ地域が生きているともいえる。
祭りに参加することで、道ばたで顔を合わせても言葉を交わすようになるし、子ども会の行事も参加しているうちに、知り合いが増え、いざというとき助けてくれる人間関係ができあがってくる。
だから、今年もぎっくり腰の持病を抱えながらも、がんばって参加した次第である(^^)
さて、明日ちゃんと起き上がれたらいいが…。
節々が痛いが、やはり祭りは楽しい。
彼方昔から、祖先達が祭りを大切にし、続けてきた意味がわかる気がする。

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