60年目の終戦記念日に

今日もいつものように朝がやってきて、一番早起きの長男が「朝ご飯に味噌汁を作るわ」と言って、台所へ降りていく。
「おいおい、無理すんなよ」と言いつつ、ぐうたらな父親はまだうとうとしている。
盆休みの3日目。のんびりと時間が流れていく。
そのうち、休みのない妻は仕事に出かける時間になり、3歳の長女は「私も行く〜」と泣いてきかない。
だっこしてなだめていると、面白いTVが始まり、兄妹3人仲良く並んでみている。
父はぼんやりした頭を、熱いお茶で醒ましながら、新聞のインクの匂いを感じながら紙面をめくる。
60年…


そのうち昼になり、食事作り。
今日は、我が家の定番になりつつある「沖縄そば」。
子ども3人とも、お代わりをして食べてくれる。
長女を昼寝をさせている間、伸び放題になっている庭の雑草を抜く。
次男が手伝ってくれる。
そうこうしているうちに、おやつの時間。
アイスを食べたら、今日のメイン、ナン作りに子ども3人と挑戦。
焼いている最中に妻も帰ってきて、家族揃っての夕食。
辛い夏野菜カレーを作って、インドのエスニックな食感を楽しむ。
食事中に、次男が言った言葉
「今日戦争が終わったんやろ。日本が負けたんやな?」
「そう、それでみんなほっとしたんや」
「えっ? なんで?」
「だって、もう死ななくてもいいし、爆弾が落ちてくるなんて、心配せんでもええやろ」
60年目のこの日、僕たちは一日を普通に生きることに追われて、終わった。
60年前のあの日、僕たちのような普通の家族は、どんな気持ちで一日を過ごしたのだろうか。
「日本には第9条があるから、大丈夫やんな?」と無邪気にきく生徒達。
…そう、大丈夫だよ。僕たちがしっかりと守っている間は。
この平和は、無償で手に入れたものではない。
300万人を超える日本の人と、2000万人を超えるアジアの人たちの犠牲の上に。
彼らの魂は、東京の九段になんてない。
自分の故郷へ、愛する人の元へ帰って行った。当たり前じゃないか。
だって、誰にだって家族があるんだから。
3人に子ども達は、あさってからの家族旅行の準備を喜々としてやっていた。
子どもは未来に生きているもの。
そして、中学生の人生も、明日に向かって開いている。
そういうもの達の未来を奪う戦争は、やっぱり許されない。
だから、大人の責任として誓おう。
再び教え子を戦場に送らない
そして、子どもを再び戦場に送らない
自分の育み、教えたものが、二度と銃を持つことないように
大人の責任として、誓おう。

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