昨夜、映画を見てから、ずっとこの言葉が頭の中を巡っている…
振り返れば、多くの人と出会い、その中で憎み、恨み、怒りを感じてきたことがある。
また、すれ違ったままの別れも…
憎しみが生きる支えになる場合もあろうが、それを抱えて生きるのもまたつらい。
憎しみは憎しみしか生み出さないから。
だから、きっと許すことが大切なんだ。
あのときのことは、二人の過ちだった
そう思えたとき、きっと相手のつらさもわかるのだろう
自分を苦しめたあの人も、単なる弱い人間だった
そう思えたとき、きっと許すことができるのだろう
そうやって、父を許し、母を許し、友を許し、恋人を許し…
許すことは、何よりも、自分自身のため
相手を許すことで、かつての自分を許しているのだろう
それはいつか、自分が許されるための予行練習かもしれない…
2月 20 2006
2 個のコメント
私ブログに書いたかも知れないのですが、オリバーツイストを見て赦しの問題が主題だと思ったものです。
赦し、許し。これは、いろいろ考えることがあります。他動詞なので、赦すものと赦されるものがいることになります。また、何によってそれは可能となるのか、赦さないことも必要だし、他方で、何処かでは赦さなければ仕方ないこともあるかもしれないし。赦しを乞うとはどういうことなのか。
間違いの多い、人間としては時々真面目に考えます。
どの本だったか忘れましたが、戦争責任に係わって高橋哲哉書いていたなと。
子安さん、こんばんは。
「許そう。でも、忘れない」という、ユダヤ人へのホロコーストに対する名言がありましたよね。
許すということは、人間と人間の関係、どう生きるか、理想とも関わって、大切なことだと思います。
また、中学生を教える立場から、思春期を終える重要な契機かなあとも思っています。
反抗期を抜けるには、父や母を許すということが、必要なのではないでしょうか。
そうして、子どもは自分の生を自分で引き受けていくのでしょう。反抗は甘えの一種ですから。
また、男と女の間でも重要でしょう。
夫婦がいつかお互いにかけがいのない存在になるには、やはり許し合うことが必要な気がします。
とりとめのない話になりました。
では、また。