平和の礎

今回の沖縄への旅行は、実は修学旅行の引率なのであった。
2泊3日、いろんなことがあったけど、子ども達は楽しみつつも、友情を深め、たくさんのことを学んだ3日間だったのではないだろうか。
仕事の合間に撮った写真で、tonetalkとしても、この旅行を記録しておきたい。
沖縄は先の大戦、日本で唯一地上戦の行われた場所。
そのことをさけては、訪れた意味はないだろう。
初日は「ガマ」に入り、当時の沖縄戦に思いを馳せる。
懐中電灯を手に足下の悪い中、ガイドさんの導かれて進み、多くの人が命を失った場所で黙祷を捧げる。
明かりを消し、本物の暗闇を体験しながら…
そのあと、沖縄県平和祈念資料館を訪れる。
多くの人たちが命を失った摩文仁の丘で、平和の礎が静かに海を見つめている…
Heiwa-No-Ishiji1


沖縄戦では24万人を超える人たちが犠牲になった。
その多くの人たちが、軍人ではない、普通の人々。
この戦争で命を失った人たちの名前が刻まれている。それが「平和の礎」。
Heiwa-No-Ishiji2
Heiwa-No-Ishiji3
Heiwa-No-Ishiji4
地区ごとに義戦になった方々の名前が刻まれている。家族全員が命を失った家もある。
雨に濡れる礎の前で、言葉を失い、立ちつくしていた…
沖縄に来る機会があれば、訪れてほしい場所である。
僕が下手な言葉を書き込むより、祈念館の展示の最後に書かれていた言葉を紹介したい。
憲法第9条の改悪が進んでいる現在、もう一度、終戦の原点を思い起こすことが大切だろう。

沖縄戦の実相にふれるたびに
戦争というものは
これほど残忍で これほど恥辱にまみれたものはない
と思うのです
この なまなましい体験の前では
いかなる人でも
戦争を肯定し美化することは できないはずです
戦争をおこすのは たしかに 人間です
しかし それ以上に
戦争を許さない努力のできるのも
私たち 人間 ではないでしょうか
戦後このかた 私たちは
あらゆる戦争を憎み
平和な島を建設せねば と思いつづけてきました
これが
あまりにも大きすぎた代償を払って得た
ゆずることのできない
私たちの信条なのです

2 個のコメント

    • papaondo on 2005年6月1日 at 9:29 AM
    • 返信

    お疲れ様です。やはり修学旅行でしたか。うちの娘も先日沖縄修学旅行でした。
    同じ宿泊地(恩納村)のホテルで修学旅行生のホテルでの転落事故があり、先生も大変だと思います。
    沖縄はいろいろと考えさせられる所ですよね。明暗含めて沖縄は好きですが。

  1. >papaondoさん
    今修学旅行は、沖縄が多いですね。
    確かに、平和の問題から自然まで、学ぶファクターがたくさんあって、多彩なプログラムが組めますね。
    僕たちも、命に関わる事故だけはないようにと、神経の張った3日間でした。何はともあれ、全員怪我なく帰ってこられてよかったです。
    今度は是非プライベートで、ゆっくり沖縄を楽しみたいです(^^)

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