43回目のHappy Birthday

昨日の朝起きた時に、長男に「今日お父さんの誕生日だよね」と言われて、初めて気がついた。
そうか、今日か…。全く忘れてたな…
最近、いろんなことで頭がいっぱいで、自分のことを考えている暇なんてなかった。
今年は厄も明けて、本当の意味で人生の第2期に入ったというか、壮年期に入ったというか、早い話正真正銘の中年になったというか、要は「おっさん」になったという感じ。
子ども会の行事でよその子ども達と遊ぶ機会も多いのだが、「おっちゃん」「おっさん」と呼ばれている自分がいる…
まあ、悪い気はしないけどね。大阪弁の「おっちゃん」の響きは好きだから。
TVでは9.11テロのニュースが流れている中、うちでは3人の子ども達が手にろうそくを持って、誕生日の歌を歌ってくれた。
43歳だから、ろうそくは3本(^^)
ろうそくの火を吹き消して、おはぎでお祝いして、子ども達とお風呂に入り、そのまま日頃の疲れが出て眠り込んでしまった。
昨日はちょっとした小休止。
また、今日から忙しい日常に流されつつも、髭を生やした「ちょい悪オヤジ」は闘いを続けるのであった…


ここから3年間は、いろんな意味で大変な時期になりそう。
前も書いたとおり、一番下の娘が通っている公立保育所が民営化される。
しかも、長女が保育所で過ごす最後の1年が、先生達がみんな入れ替わっての、民営化1年目になる…
やむにやまれぬ気持ちで取り組みを始めたのだが、自分が動くといろんな人が応えてくれ、ネットワークが立ち上がっていくのを実感している。
保護者で同じ思いを持っている人たちとのつながりが、どんどん広がっていき、意見を交わす中で進む方向が見えてくる…
議員に働きかけると、僕たちの声を聞きに来てくれる…
その議員が、また別の議員に声をかけ、保護者の声を聞く機会を持ってくれる…
他市の民営化を経験した親とも繋がりができて、いろんな情報を教えてくれる…
「誰かが何とかしてくれないかなあ」と受け身ではなく、自分から動けば、必ず世界は応えてくれると実感した。
もちろん、ただ動くだけではだめで、そこには自分の思いだけでなく、多くの人の思いを束ねるという意識も大切だが。
同時に、機が熟すこともまた必要。今、まさにそういう感じで、多くの人が「何とかしなくては」と思い始めたときだがら、だから、人が人を呼ぶ感じで広がっていくのだろう。
ここまで書いていて、ふと思った。
これが生きている実感なのかもしれない。
「夢想」や「空想」で理想を語るのではなく、人たちの中に入って、その中で自分を確かめ、人の声に新鮮さを感じ、お互いに新しいものを見つけ、生み出していく…
これが生きるということなのだろう。
そういう意味では、昨日は新しい僕の誕生日。
初めての航海に、仲間とともに漕ぎ出し、よりよい目的地を求めて海を進んでいく。
そういう新しい生き方を、自分の外に生み出していく。
生きるって、毎日が新鮮だ。
新しい自分に脱皮する誕生日。
寺山修司は「書を捨てよ、町へ出よう」と言ったが、僕はこう言おう。
「勇気を出して、人の海に飛び込もう」と。

コメントを残す

メールアドレスは公開されません

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください