橋下知事に追従する、倉田箕面市長

全国最年少の鳴り物入りで、当選した倉田箕面市長だが、彼の個人ブログ「34歳の日誌」の中で、橋下知事への追従の姿勢を示している。
彼が選挙運動中に橋下知事が応援に来た話は有名だし、ブログにもあるように、市長に就任してから直ぐに橋下知事に挨拶に行っている。
極めつけは、橋下知事が「くそ教育委員会」発言をした民間放送は、箕面のタッキーFMであり、その発言をしている彼の横に、しっかりと倉田市長が写っている写真が朝日新聞に掲載されていた。
その倉田市長が、箕面市の教育委員会に対して、学力テストの結果を公表するように要求している。

「34歳の日誌」(倉田哲郎のブログ)

また、各学校にしても、全国や府の平均との比較よりも、箕面市の平均、つまり、同じ市内の学校のレベルに対して自分たちがどういう位置にあるのかを知ることの方が、学校現場の取り組みや、学校間の連携・情報交換を加速するきっかけになるのではと思います。

倉田市長の書いているとおり、教育委員会内では箕面市の平均も各学校の平均もわかっているのである。
それを公表しないことを選択してきたのは、公表することの弊害の方が大きいからである。
箕面市の平均を公表すれば、保護者の心情として「じゃあ、自分の学校はどうなのか?」という疑問が出てくる。
いったん公表すれば、最終的には全ての学校の結果を発表せざるを得なくなる。そのことの重さを、倉田市長にはどれほど実感をもってわかっているのだろうか。


学力テストで高い結果を出した都道府県では、前もって同じ傾向の問題を授業を使って何回もやらせたり、勉強のできない子をテストの日に休ませたりしていた。
そういう報道があったことも、橋下知事や倉田市長は忘れてしまったのだろうか。
そういうことで、高い結果を出したとして、何の意味があるのだろうか。
そもそも、2人とも学力テストの問題を見たことがあるのだろうか。
家に帰っても、親もおらず、晩ご飯を食べることもなく、ただぼんやりと過ごしている子ども達…
親だってサボっているわけではなく、今の社会の中で、長時間労働で精一杯がんばっているのだ。
そういう子ども達に、今の学力テストの結果を公表することに何の意味があるのだろうか。
公表して学校をランク付けするより前に、教育委員会や各学校で結果を分析し、どのようなフォローが一番必要か、しっかり議論することが大切ではないだろうか。
公表することで、却って本来の解決にならない危惧を感じる。

なお、教育そのものは教育委員会の担当ですが、教育環境の整備のための予算などは市長の責任で決定し、議会に提出します。このため、教育については、決して教育委員会だけに責任を押しつければ済むということではありません。市長も教育委員会も一緒に責任をもって取り組んでいくべきテーマです。

この発言など、言い回しは柔らかいが、「予算は市長が握っているぞ!」という脅しとも読み取れる。
教育に行政は介入しないという大原則を、彼が知らないはずがない。確信犯ではないかと勘ぐってしまう。
34歳と38歳と、タイプは違うが、思考は同じだ。
そこにあるのは、「強者の論理」。
勝つことが全てではない。勝ち負けの向こう側にある生き方を、彼らはきっと知らないのだろう。
たかが、テストなのだ。そんなことは、本当は多くの人がわかっていることなのだ。
テストでいい結果をとれなくても、人生は開けるのだ。
そういう、希望と勇気を育てることが、今の教育に必要なことではないのか?
競争から下りることで、開ける幸せがあることを、この2人にも是非知ってほしいものだ。

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