秋祭り

今日、僕の住んでいるところの自治会・子ども会の秋祭りがあった。
ここに越してきて3年、参加するのは3回目だが、今年は自治会の役員の仕事も回ってきたということもあって、最後の打ち上げまで参加させてもらった。
祭りでは、自治会内の辻を御輿を担いで練り歩いた。ご年配の方などが玄関先まで出て手を振っていたりして、この祭りを楽しみにしているのが伝わってきた。
この地域も若い世代が減ってきて、子ども会も風前の灯火だが、こういう元気の出る行事は続けていった方がいいよね。
父親たちがかり出されて、御輿を担いでがんばったが、久しぶりに大きな声を出してすっきりした気分になった。
休憩の度にビールを飲んで、子どもたちよりも大人の方が楽しんでいたのじゃないだろうか。
当のうちの息子たちは、長男はしっかり参加していたが、次男は「獅子舞いが怖い〜」と言って、後ろから泣きながらついてきていた…。まあ、しかたない。
終わったら、大人たちは打ち上げ。
この地域に最初から住んでおられる最長老から、僕らのような若手の父親たちまで、男たちが集まっていろんな話題で騒いで飲んだ。いやあ、楽しい一時だった。
地域に根ざして生きるっていいなあと実感した一日だった。

携帯、変えました(^^)

今月で貯めてきたポイントが切れてしまうのを機に、携帯を変えることにした。
電話番号が変わると面倒なので、そのままDoCoMoにしたのだが、問題はmovaのまま行くか、FOMAに変えてしまうか…。
将来性を考えるともちろんFOMAなのだが、はっきり決めずにショップに出かけ、店のお姉さんと話をしながら、最終的にFOMAにすることにした。
機種はF2102V。最新機種でテレビ電話ができるそうだが、そんなことはどうでもよくて、要はクレードルに乗せた状態で、USBケーブルにつなげて64kでデータ通信できるのが決め手になった。
もちろん対応OSはWindowsのみだが、僕のノートはIBMのThinPad X 20なのでちょうど都合がいい。
これならちょっとした出先でメールチェックやWebサーフィンなどをするのにいいかなと思い決断した。
ただ、対応エリアがまだまだ少ないので、しばらくはこれまで使っていたN502iとの二刀流でしのぐことにした。デュアルネットワークサービスとやらを使うことで、一回線を二台で共有することになる。
あと、カメラがついているんだけど、33万画素程度なのでなんか眠い感じの写真になるが、それもまた味のうちで、これでfotologしてもおもしろいかも。
動画も撮れるけど、これが国際標準の3GPPに準拠していて、Mac OS XのQuickTime 6.3以上で再生できるんだよね。これが実は選んだ隠れた理由(^^)
これからはfotologならぬmovielogができたりして…。

カワセミ、この夏は来ず…

僕の趣味の一つにバードウォッチングがある。
双眼鏡とカメラをもって山に分け入り、鳥たちの愛らしい姿を愛で、そのさえずりに耳を傾けていると、日頃の疲れもすぐに吹っ飛んでしまう幸せなひとときだ。
さて、僕のお気に入りの場所である、家の裏手にある山腹の広場には池が三つあり、フナが悠々と泳いである。
それをねらってか、去年の夏はつがいのカワセミがやってきていた。
まさか。こんなところでカワセミがいるなんてと思ったが、間違いない。
毎日カメラをもって池に出かけ、やっと撮った改心の一枚が下の写真である。
kawasemi.jpg
何度見ても美しい鳥である。
今年はもっといい写真を撮ろうと待っていたが、結局やってこなかった。
冷夏だったから?
そういえば、今年はウグイスの鳴き声も去年より弱々しく少なかったように感じた。
自然の調子がだんだん狂ってきているようで、何とも寂しい感じがする。
来年はまた戻ってきてくれよな<カワセミ

Netscape、Mozillaなどでスタイルシートを有効にする方法

しばらく遠ざかっていた、MovableType関連の話題をアップしたいと思う。
前に書いたMozilla系のブラウザでスタイルシートを有効にする方法がわかった。
まあ、気がついたのはだいぶ前のことなのだが、今頃書き込んでいる(^^)
わかってしまえば、至極単純なことで。
CGI関連の本をぱらぱらめくっているときに、はっとひらめいたのであった。
その方法とは…。

続きを読む

アサギマダラ

天気がよかったので、気分転換もかねて、久しぶりに池田市の五月山に上った。
山腹に沿って縦走する道をずっと歩いていくと、見たことのない珍しい蝶が乱舞していた。
甘いにおいのする白い花、これも初めて見たが、その蜜を一生懸命吸っていて、近づいても逃げようともしない。
その様子がとてもきれいだったので、何枚か写真を撮った。
asagimadara.jpg
しばらく行くと、その蝶を必死になって捕獲している人たちにあった。
聞いてみると「アサギマダラ」という蝶で、なんと沖縄まで飛んでいく渡り蝶(?)とのこと。
その途中で毎年、この五月山を経由していくそうだ。
さっきの甘い白い花は「ヒヨドリバナ」というそうで、好んで蜜を吸うそうである。
この蝶は毒をもっていて鳥に食べられないので、悠々と飛んでいるとの話。
それで人も恐れないのか…。
捕まると死んだまねをするとのこと、何ともおもしろい蝶である。
捕獲して標本にするのではなく、羽にマーキングをして、また逃がしてやるそうである。
すると、沖縄でまた捕まったりして、どこを経由した蝶がどこまで飛んでいったかがわかるとのこと。
そういう情報をまたMLを使って交換し合っているという話であった。
へー、こんな楽しみもあるんだと、新しい発見があり、得した気分の一日だった。

幻のMac OS X 10.2.8…

おととい、突然にソフトウェアアップデートが立ち上がって、Mac OS X 10.2.8アップデートが表示された。
内容を見ると、オーディオ、Bluetooth、Classic 環境の互換性、Finder、グラフィック機能、LDAP、パワーマネージメント、Safari、および FireWire と USB 装置との互換性を改善など、なかなか充実したものだったので、早速アップデート。
僕のPowerMacintosh 7600/200でも問題なくうまくいった。
ところが、昨日になって、そのアップデートが突然アップルのHPから削除され、消えてしまった。
いったい何で?
何か大きな不都合でもあったのだろうか…。
今のところ、僕の環境では問題なく動いているが、何か不気味。
HPでもなんのコメントもないし。
アップデートした人間はどうすればいいんだ…。
アップルさん、早く対応お願いします。

透き通った空…秋分…そして、秋

暑さも彼岸まで」とは昔の人もよく言ったもので、秋分の日を前後に、めっきり秋らしくなってきた。
昨日は空の隅々まですばらしく冴えわたり、久しぶりにデジカメを持ってお気に入りの山へ。
今流行りのPhotologのように、「秋」の一風景を切り取ってみたいと思う。
matsuoyama_in_autumn.jpg
どこまでも透き通る空。
山は最後の緑を身に纏っている…

続きを読む

アフガニスタンとイラク

今日、たまたま行った図書館のロビーで、アフガニスタンとイラクにおける、一般のメディアでは流されない写真展をやっていた。
展示されている写真を見て、大国のやっていることの残酷さに改めて怒りを感じた。
それぞれに言い分はあるだろうが、戦争の最大の被害者は、やっぱり一般の市民、それも子どもたちであることを再認識した。
そこには「戦争反対」の意見が書かれた横断幕も張られていた。いろんな人が自分なりの反戦の思いを書き込んでいた。
それはそれでいいのだが、気になったのはその中に暴力的な表現がいくつか散見できたこと。
例えば「ブッシュ、死ね!」とか「消えろ!」、「小泉(首相)のバカ!」などである。
これって、結局自分と価値観の違う相手を全否定する態度では、ブッシュ・小泉と本質的に違いはないのではないだろうか。
僕たちが目指さなくてはいけない世界というのは、実際の銃であれ、言葉の暴力であれ、自分とは違う人間を暴力で支配するのではなく、お互いが対等で平和的な関係を作っていける世界ではないのだろうか。
知らず知らずに、平和を求めているはずの人たちまでが、「暴力」にとりつかれていないか。
そんなことを感じた1日だった。

琵琶湖に行って来ました

この3連休は琵琶湖に遊びに行ってきた。
理由はこの前仕事で信楽に行ったとき、途中の大津SAで久しぶりに琵琶湖を見て、その大きさに改めて感動し、これは息子たちに一度見せなくてはと思ったからである。
何十年かぶりに訪れた琵琶湖はとてつもなく大きく、子どもたちも「これは海?」とびっくりしていた。
車で走っても走っても端につかない。
僕も琵琶湖の大きさを実感した。
その大きさをカメラに収めようとしたが、なかなか思ったとおりにいかない。
センスない上に、テクニックもないので(TT)
biwako1.jpg
その分、万葉集の柿本人麻呂の有名な歌を紹介して、お茶を濁しておこう(^^)
淡海の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 情もしのに 古念ほゆ (巻三・266)
夕焼けに染まる琵琶湖の写真が、何となくイメージに合うかな?

続きを読む

不惑の歳になりました

今日、「不惑」の年齢を迎えた。
今更誕生日なんて、うれしい歳ではないけれど、何か一つの節目を迎えた感じはする。
子曰、
「吾十有五而志于学、
三十而立。
四十而不惑、
五十而知天命。
六十而耳順、
七十而従心所欲不踰矩。」
有名な孔子の「論語」の一節。この解釈はたいてい高校の漢詩の授業で教わったようなもっともなものがほとんどだが、前に一度、もっとネガティブに解釈したものを読んだ覚えがある。
その方が僕には共感的に読めたのだが、詳しい内容は忘れてしまった(^^)
ただ、僕の実感で解釈すれば、「四十而不惑」は「四十歳で狭い枠にとらわれないようになった」といった解釈よりも、「自分の限界が見えてきて、覚悟が定まってきて、迷わなくなった」という方がいいように感じる。
若い頃のような無茶はもうできない年齢になり、同時に自分にはできないことも見えてきて、あるがままの自分を受け入れる勇気がもてるようになる年齢。
僕はそう解釈することにしている。
そう考えれば、きっと「50歳で天命を知る」という言葉も、実感を込めて理解できるんじゃないかなあと思っている次第である。